2014年10月10日金曜日

サンバートラック


軽トラがあるおかげで、我が家の生活はとても潤いがあると思う。
これは直射日光を避けるために、サンバーの荷台にプールを載せて、木陰で遊んでいた時の様子。2010年の夏。

以下、2010年当時の話です。






W201、Golf2に続く新しい愛車、サンバートラック。既に大活躍中である。

10万円の値引きとエコカー補助金(12.5万円 ゴルフを廃車にしたので)で、新古車を買うより安く買えた。
装備はエアコンのみ。「パワステなんてこんな田舎じゃ必要ない」と判断したが、果たしてそのとおり。据え切りなんてこれまでもした事が無い。
ちなみに、パワステを付けないと3万円も安くなる。見積書を作った販売員が「こんなに安くなったかぁ」と舌を巻いていた。

「軽トラ」購入を決意し、改めて「軽トラ」について調べてみると、各メーカーでかなり特徴が違う事が分かった。
そんな中でスバルのサンバーを選んだ理由は、フルキャブだから足下が広い、リアエンジンだから運転席が暑くならずなおかつ静か、といったところ。サンバーは走りの良さを前面に押し出していて、赤帽の車両がサンバーである事を知ったのも、選択の大きなポイント。
蛇足だが、軽トラついてかなり調べたおかげで、私は軽トラを見てどのメーカーのものかほぼ特定できるようになった。デザインはダイハツのハイゼットが一番格好いいと思う。農業がメインだったらハイゼットを買っていただろうな。だが、デフロックは私にはそれほど必要ではないのだ。

私が「軽トラ買った」というと周りの人間はみなビックリするのだが、私はこの2年ほどずっと「軽トラが欲しい、欲しい。」と言い続けてきたので、ちょっと不思議な気分である。妻も、私が「お店に行こう」というまで、ずっと冗談だと思っていたらしい…
このサンバーでジョイフル本田に行くのが本当に嬉しくて、自分でも得意げな顔をしているのが分かるくらいである。資材を荷台にガツガツ載せているときに感じる充足感。自分の生活に欠けていた大きなピースが埋まった事に、心底喜びを感じるのだ。

先日友人と飲んだときに「クルマは男の夢だからなぁ…」と話をして、私が軽トラに乗り換えた事にとてもビックリしていた。確かにW201は夢そのものだったけれども、このサンバーはとにかく道具として私に忠実なのである。使える道具を持つ喜び、これもまた格別なのだ。
これから先何十年、我が家のセカンドカーは軽トラで、それは私が乗るものであるということに、今は楽しさしか感じない。

2014年6月29日日曜日

お囃子会
















地元行政区のお囃子会に4年前から参加している。
子供の頃はなかなか覚えられなくて苦労したものだが、今はボイスメモで録音して家で覚えられるので便利な時代だと思う。

御多分にもれず我がお囃子会も担い手不足。どのパートも足りないから「覚えてきたよ」とやってみせれば、大太鼓のポジションだってすぐに得られる。

「共同体の記憶というものは残しておかなければならない」という使命感から始めたものだが、今となっては単に楽しくて、集合がかかれば心躍らして参加しているのだ。

関東平野のド真ん中で、田園と工場以外はなにもない郷土。
共同体の記憶まで失う訳にはいかない。
そんなことに思いを馳せる人がもう少しいてくれれば、と思う。

2014年3月2日日曜日

13℃、26℃、20℃

画像は、ある冬の朝9時半頃の我が家1階。
ここからあっという間の勢いで、太陽光が家の中を満たしていく。
タイトルは我が家の温度管理の目安。台所にある温度計で測定している。
画像はそこから撮ったもの。

まずは後ろの「20℃」。これはは21時の目標温度。
真冬だから薪ストーブをガンガン焚いていて、20℃までは簡単に上がってしまう。
しかし21時以降に20℃以上だと暑くて寝付けない、もしくは幸運に寝つけても寝汗をかいて起きてしまう。
高気密・高断熱だから上がった室温はそう簡単には下がらないので、20時以降は温度計とにらめっこしながらの薪投入となる。

2014年3月1日土曜日

薪ストーブ アーミックEG-60CK(ホンマ製作所)




















我が家の薪ストーブについて。

薪ストーブの本体は、ネットで見つけたアーミックというお店のEG-60CKというモデル。
製造しているのはホンマ製作所である。
その他、煙突部材もホンマ製。
これらをほぼ全てアーミックで購入した。

私が薪ストーブを選ぶにあたって重要視したのは…
・二次燃焼システム
・外気吸入できる
・煙突径φ150
二次燃焼と煙突径は、毎日使うとなるとかなり煙突が汚れるだろうから、そこに対する対策。
煙突径に関しては、何十年か先のスタンダードということも考えてみた。
外気吸入は、Be-h@usが高気密なので必要だと考えた。

2014年2月8日土曜日

農地転用に必要だった書類 in 2007
















知的セルフビルドの一環として(もちろん第一の理由は費用を抑えるため)、農地転用を自力でやりました。2007年のことです。
その際に提出した書類をリストアップします。
リンクで飛ぶものは、役所に言われたとおり私が作成した書類です。稚拙な内容ですが、茨城県ではしっかり通りました。

※注意:この事例は茨城県古河市のものでなので、農地転用しようという方は必ず該当地の農業委員会(農地転用)&建築指導課(開発許可)に相談してください!


(実録】自力で農地転用 in 2006〜2007


2006年当時の土地。この土地を宅地に転用した。
この頃は蕎麦畑で、そのさらに10年位前までは水田だった。










我々の所有する土地は市街化調整区域の畑地だったので、家を立てるには地目を畑地から宅地に変更する必要があった。それがいわゆる農地転用である。
世間一般では行政書士に依頼するのだが、「Be-h@us」と出会い「知的セルフビルド」という言葉に感化された我々は、「農地転用を自力で行って、その情報をインターネット上に公開しようぜ!」と、割と軽い気持ちでチャレンジしてみた。
以下、その奮闘記である。

2014年2月6日木曜日

我が家の成り立ち


建築家と家を建てたいと思っていた。
那須にある殻々工房」というBarが好きで、そのお店と住居を設計した秋山東一という建築家を訪問したところ、彼の住宅設計思想に感銘を受けてしまい、他の建築家を回ることなく秋山氏に設計を依頼してしまった。




秋山氏のイメージスケッチ。2006年9月13日とある。
スケッチにあるガレージは予算の都合上カットされた。









設計の希望には、主にこんなことを挙げた。
・壁で区切らない広い空間
・広い土間
・家の暖房は、薪ストーブのみ

出来上がったプランは、基本的には4mx11mの細長い平面に、片流れの屋根。

広い土間については疑問の余地があるが、だいたいは設計のプラン通りの家になったのだと思う。